30代無職のロズ雑記

30代無職で高卒ニートの職歴なし絶望的人生。社会不適合者で真面目系のクズです。そんな人生をエンターニートで逆転するブログ。最近はグルメリポートが中心で田園都市線沿いの美味しいお店をご紹介しちゃってます。

ptengine

歴史

真田丸 最終回を考察する

2018/02/22

歴史好きの皆さんなら大阪の陣での最終回はもうだいたいわかっていることだろう。そう、豊富は負けるのである。でも惨敗だった戦いでもないのが大阪の陣である。またの名は第2の桶狭間!今回は、大阪夏の陣について簡単にまとめていく。

sanadamru

まず勢力を見てみよう

豊臣軍:5万5千

徳川軍:16万5千!!

natunojin

天王寺の戦い

3倍の規模を誇る徳川軍・・・orz

大阪夏の陣をすべて説明すると長くなるので第2の桶狭間の主戦場、天王寺の戦いのみにフォーカスしていくことにする。

※大坂牢人五人衆の一人、後藤又兵衛は前の戦い(天王寺の戦い)で無事に天国に召されています。

後藤又兵衛(基次)

後藤又兵衛(基次)

 

茶臼山に布陣した真田幸村が周りを見渡し

幸村「毛利さんは天王寺口で大野さんは岡山方面に布陣お願い!あと長宗我部さんは、、城内で」

幸村「皆、天王寺で決戦することになるはずだからさ、そこに敵を誘い込んで皆で叩くよ。あ、キリシタン(明石全登)さんは敵を誘い込んでる隙にあのガマガエル(家康)の背後に回って包囲殲滅な」(3倍か〜上田合戦以来だな〜懐かしいっ!)

明石「了解!」

長宗我部盛親「うむ!(この前の戦「八尾・若江合戦」で負けたからか、、、)」

毛利勝永「おう!」

大野治長(5人衆の取りまとめ役)「よし!全軍に言い渡す!茶臼山と岡山より前に出て戦うことを禁止とする!」

対する徳川軍は豊臣軍の南方に布陣したのである。

家康「天王寺を通ったら裸の城(大阪城)は目前。やつらも天王寺を守ろうとする ここは俺が指揮を執る」

秀忠「ガマ、、いや、おとん!天王寺方面の攻略は僕に」

家康「馬鹿者!この青二才!わしが死んだらどうするんじゃ!指示通り岡山方面から攻略しろ!」

秀忠「、、、」

家康「本田(忠朝)!お前、天王寺方面の先鋒!前田利常は岡山方面の先鋒!藤堂高虎・井伊直孝は、こないだの戦い(八尾・若江の戦い)で頑張りすぎたから秀忠の前衛!あ、真田信吉は本田の東な!」

家臣達「おーう!」

こうして、両軍は布陣を終えた!その数、両軍合わせて22万!!関ヶ原を凌ぐ大合戦である。豊臣軍は、迂回部隊のキリシタン明石が狼煙を上げるまで攻撃を開始するのを待った。

そんな中、徳川軍のある部隊が茶臼山に向かって動き出した!

松平忠直「この前の真田丸の戦いで大敗したし、幸村まじでムカつく!俺、先鋒じゃねーけど関係ねー!ガマガ、、いや、家康殿に嫌われたからこれで認めさせたる!」

本田忠朝「ふぁ!?なんでアイツ、命令無視してんの?ふざけんなよ!俺だって大阪冬の陣で酒飲みまくってたらいつの間にか負けて、家康に掘られそう(叱責)になったんだぞ!抜け駆け許さん!命令なんて関係ねー掘られるくらいなら討ち死にしてでも汚名を返上したる!」

松平に先手の功を奪われると焦り、慌てて本田隊は天王寺へと部隊を進めた!

その結果、本田部隊と天王寺を守る毛利部隊とドンパチを始めてしまったのである。
これに驚いたのが幸村と毛利である。作戦ではキリシタン野郎が狼煙を挙げてから攻撃を開始する作戦だからだ!

幸村毛利は、攻撃の中止を命じた!しかし、銃撃戦は増す一方で収拾がつきそうにもない!

毛利部隊「オラオラ、調子乗ってんじゃねーぞ。テメーらオラオラ!」

毛利勝永「...やべっ!こいつらDQN(浪人)だから作戦って概念がねーわ。ダメだこりゃ!」

作戦が破綻することがわかっった毛利は作戦を変更し、独自に本田部隊へ猛攻を仕掛けた!
さらに、本田の西に布陣する秋田、東に布陣する真田信吉にも猛攻を仕掛けたのである。

本田忠朝「やべ、部隊が崩壊していく、、掘られるくらいなら特攻じゃ〜〜〜!うぐっ!ぐふっ!」

こうして毛利部隊に駆逐された本田部隊であった。もちろん本田忠勝の次男、忠朝は討ち死に。そのタイミングで秋田部隊壊滅!奮闘した真田信吉隊もしばらくして壊滅した。

毛利部隊「ヒャッハ〜〜〜〜〜〜〜!まじで気持ちぃ〜〜!」

幸村「・・・」

毛利勝永「許せ、幸村、、、」

幸村事ごとにみな食い違って、ついに為すことなし。これはもはや我が命の終わる秋(とき)である・・」

幸村「てかふざけんなよ!はっ!なんで勝手にドンパチしてんだよ!ファっ!fじゃおえjふぁほ」

幸村は嫡男の大助を呼び出し、使者として豊臣秀頼に出陣を要請した。
その後、松平忠直の軍勢と衝突し、激しい銃撃戦となった。

松平の逆恨み(真田丸での大敗)と率いている越前衆の猛攻は凄まじく「かかれかかれの越前衆、たんだかかれの越前衆、命知らずの嬬黒の旗(つまぐろのはた)」と歌われる程である。

一方、岡山方面の第二陣に布陣していた藤堂高虎・井伊直孝部隊らが本田忠朝の討ち死にを知ると、直ちに西に進め、救援に向かって毛利部隊を抑えた。

大野長房「お!これは隙あり!一気に秀忠の本陣を攻め取るぞ!」

徳川の関東勢はことごとく蹴散らされ、本陣に迫った!ここで黒田長政・加藤嘉明がその抑えとなり、進軍を阻止した!

こうして一進一退の攻防が繰り広げられていた。この時、徳川軍の西側最後尾に布陣していた浅野幸長が諸将の活躍に触発されて兵を急に前進させた。

浅野幸長「お!皆が奮戦しておるわい!わしも参戦するぞい!えいや!」

すると徳川軍の間で「浅野が裏切った」という噂が何の気もなしに流れた。浅野から攻められる恐怖から後方が大混乱に陥ったのである。つまり「裏崩れ」というものである。

伊達政宗「ん?先鋒隊が敗れてこっちに向かってきおったか!しかも目が白目じゃ!ありゃゾンビじゃ!撃て撃てぇ〜〜い!」(伊達の味方撃ち)

これで徳川軍の間で「伊達政宗も豊富軍に寝返ったぞ」という噂が広がり、さらに大混乱した!

家康「旗本を差し出した、混乱を沈めよ!」

家康の旗本A「はっ!お前ら・・お前ら全員味方じゃ!・・・うわ〜〜〜皆が敵にも見えてきた〜」

混乱を治めるため、旗本を差し向けたが、全く効果がなくそれどころか旗本までも混乱するという始末に負えない状態であった。

幸村「ん?なんだ?家康本陣近辺が慌ただしいな!裏崩れか!?好機!!」

松平忠直と戦っていた幸村は、鉄砲を乱射しながら、家康本陣に向かって突撃した!
見事に松平隊を突破し、家康本陣に3度も突撃!

幸村「家康はどこじゃ〜首を置いてけ〜!おりゃ!突っ込めぃ〜〜!お!家康!待てぃ〜〜!」

家康「なんじゃこりゃ!ひぃ〜〜〜〜〜!」

大混乱となった家康本陣は崩壊!

家康「もう終いじゃ・・切腹いたす・・・無念」

ハゲ達(金地院崇伝達)「待って下さい。ガマガ・・いえ、家康殿!今は逃げるときです!」

家康「・・・・そうか、わかった、逃げるぞ!」

家康の東側で豊臣軍の毛利部隊と戦闘を続けていた藤堂・井伊部隊がそれを察知。

藤堂高虎・井伊直孝「本陣が崩れておる。・・まずい!助けに行くぞ!お〜〜〜!」

藤堂高虎・井伊直孝隊は、慌てて徳川家康の援軍に向かい幸村の左側面に攻めかけた。

幸村「くっ!家康めどこに消えおった!やばい、周りが敵だらけだ!」

このままでは敵に包囲されつつある幸村隊は家康の首を諦め茶臼山へと撤退を決意。

その後、徳川軍は、次第に落ち着きを取り戻し、部隊を立て直した。そして、反撃に転じた。

茶臼山に布陣した幸村は松平忠直に攻め立てられ、力尽きた幸村は茶臼山の北にある安居天神で休んでいたところを松平忠直の鉄砲頭・西尾仁右衛門に見つかり戦わずに

幸村「手柄にいたせ」

と言い放って討ち取られた。

とまぁ〜史実に近いとこんな感じで家康を目前にして逃げ切られ、無念の末に息果てるといった感じだろう

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